醒めないままで君に

光溢れた夢の続きは君とともに

舞台『ブエノスアイレス午前零時』~観劇~

ものすごく今更ですが、2014年12月26日のブエノスアイレス午前零時の感想をまとめてみました(いつの間にか年が明けていた)。あくまで感想ですので、物語のあらすじなどは私の記憶の限りですのでご了承ください。

●舞台『ブエノスアイレス午前零時』の感想

 舞台の始まり、ミツコが一方的に語りかけ二人は出会います。雪がちらつく中、いつものように温泉卵を作るカザマの前に突然現れたミツコ。言葉を発することなくミツコに驚き見つめるカザマ。そんな印象的なシーンから舞台はスタートします。

 みのやホテルでのカザマは小さくて弱気で声も細くて黙々とホテルの掃除をするだけの従業員。ほかの従業員が堂々としているのもあって余計に小さく見えて、よく目を凝らさないと見失いそう。それが、現在のカザマの立ち位置なのでしょう。

 ミツコが「あなたニコラスなのね」と声を掛けたところから、ニコラスの物語はスタートします。舞台の奥行きを存分に生かしたセット転換は見事でした。一瞬で新潟と福島の県境からブエノスアイレスに切り替わります。小さくて弱弱しいカザマから一転、飄々とした胆の座ったニコラスはドスの効いた声で酒場の客とやりあいます。その切り替えは本当に見事としか言いようがなくて、剛くんって声の表現力にものすごく長けた人なのだなあと知りました。転がされて挑発的な言葉を相手に掛ける時の声は「こんな声でるんだ!?」と本当にドキッとしました(声についてはまた後ほど)。

 酒場に似合わない東洋人のミツコ。「娼婦じゃねえ!」と突っぱね、体を買われても拒絶する。そんなミツコを何故かかばうニコラス。酒場の雰囲気はどんどん悪くなっていき、そこに現れるボス。ボスに気に入られたミツコはボスの女になります。

 一方、ミツコの記憶に自分を投影していくうちに、カザマはだんだん混乱していきます。「今、ここはどこなのだろう」「自分は誰なのだろう」と。ブエノスアイレスのシーンはカザマの投影なので、周囲の人もホテルの従業員や兄を当てはめているのでどんどん分からなくなっていきます。「あなたがこんな話をするから!!」とミツコに憤るカザマ。カザマの内に秘めた叫びがニコラスの叫びとなって出てきます。とにかく絶叫シーンが多いのですが、それに伴ってカザマも冒頭とは違って叫び、兄にも従業員にも突っかかり、苦悩が表に出てきます。うずくまるニコラスも多いのですが、それがカザマの内面を表しているようでもありました。そんなカザマの葛藤とボスを殺してしまいこれからどうなるのかという不安を抱えながら終わった一幕。出演者の熱量に圧倒されて幕間はボーっとしてました。

 

 二幕。ニコラスが出てきた瞬間、「ボ、ボタンが!!!!!仕事をしていない!!!!!!!!」ということに衝撃を受けしばらく剛くんの胸元を見つめていました…。(皆さんがボタンガー、ムナモトガーと言っていた意味がここでようやくわかる)

 釈放されたニコラスは一幕に増してギラギラと「ミツコはどこだぁー」と唸ります。そんなニコラスの前に現れたのは一幕とは打って変わって妖艶なミツコ、いやマリアでした。酒場にいるすべての男と寝た女、マリアを受け入れられないニコラス。そんなニコラスをあざ笑う周り。マリアに「帰ろう」と説得するも厳しくはねのけられてしまいます。戻ってきたら大切な人でさえも何もかもが変わっている現実。ここでの、ニコラスの叫びや痛みは見ているこちらの内面もヒリヒリしました。二幕はニコラスとカザマが同一化するだけでなく、見ている側も二人に同一化してしまうかのようで本当に苦しかったです。一幕ではカザマが主軸だったのに対し、二幕ではニコラスが主軸になっていくように思いました。この辺から剛くんの切り替えも急にニコラススイッチが入ったかのようにテキパキした切り替えになっていってますます引き込まれます。

 ニコラスがマリアを買い、二人になるシーン。やっぱりそこにミツコはいて、二人は語ります。二人の出会いはもっともっと前。娼婦として生きてきて娼婦としてしか見られてこなかったミツコにとって、ニコラスは初めて「ミツコ」を見てくれた存在。「まだこどもじゃねえか」という言葉にミツコは二度も助けられたのです。ニコラスとミツコはとても純粋です。それは、穢れを知らない純粋さではなく、自らに正直でまっすぐな純粋さで、このニコラスとミツコのまっすぐさを受けてカザマも自らに正直になっていったのでしょうか。ボスがいる酒場を二人で乗り越えることが障害だらけの未来を乗り越えることの象徴になっていて、ニコラスの「超える」という一言がものすごく強く耳に残っています。剛くん自身も仰っていましたが、蓬莱竜太さんのセリフはそれ自身がものすごく強くて決して難しい言葉や言い回しはないのですが、説得力がすごくあってすっと耳に入ってきました。

 そして舞台はみのやホテルに戻ります。小説でのクライマックスシーン。ミツコの手を取り二人は舞踏会で踊ります。「私怖いわ…」「大丈夫です」「あなた笑わないのね…」「俺は笑う…笑うよ…」。この「笑うよ」の声が優しくて暖かくて心地よくて本当に素晴らしかったです。公開舞台稽古の囲み取材で美織ちゃんが「森田さんの顔を見ているだけで泣けてきてしまうくらいの大きな愛や優しさを感じています」と仰っていた(そのあと照れ笑いする剛くんは死ぬほど可愛いですねという蛇足情報)のですが、まさにそうでニコラスとカザマを通して剛くんの優しさや包容力溢れていて後半ではカザマが喋っているのを見るだけで切なくて泣いていました。状況の深刻さや辛さへの同情の涙ではなく、美しくて切なくて愛おしい感情の涙だったような気がします。このクライマックスの前では、心臓が早鐘を打っていてぐっと引き込まれました。

 最後に満を持してのタンゴの登場。三人で踊るのってかなり難しそうなのに綺麗に踊れていました。三人とも決して自分をアピールするわけでなく、淡々と踊っているのですが、とてもかっこいい。特に剛くん一人でタンゴを踊るシーンはキレッキレで衣擦れの音が聞こえてきそうなほどしっかりと踊っていてめちゃくちゃかっこよかったです。ああ、ぜひコンサートでビシバシ踊る剛くんが見たい…。

 そして、最後の最後。カザマはここに残る決断をします。劇中でカザマが温泉卵を作るシーンは冒頭、中盤終わり頃、終わりに出てくるのですが、どれも違ったカザマで最後のカザマはとても穏やかですべてを決めた顔をしていました。みのやホテルのオーナーと語り合う姿にカザマの決断が見えて希望の持てる終わり方であったように思います。オーナーが立ち去った後、雪が舞う中タンゴを踊るカザマとともに舞台は幕を閉じます。この一番最後のタンゴがまたすばらしくかっこよかった!!!タンゴに入った瞬間、顔つきも体の動きも別人のよう。

 

 カーテンコールは4回。時間も遅くて簡潔なカーテンコールでしたが、4回目の最後、袖にハケる寸前にちょこちょこっとお手振り頂きました。めっちゃ可愛くてめっちゃアイドル!!!!!こりゃ私、コンサートでファンサもらった日にはその場でぶっ倒れるかも。
 

●舞台の森田剛の魅力

  まず、びっくりしたのが声。剛くんの声の印象といえば何といっても甘い「キャラメルボイス」ですが、舞台で初めて声を発した時、思ったよりもハスキーで(舞台公演の掠れかもしれません)びっくりしました。カザマとニコラスの演じ分けにおける声音の使い分けは見事で、特にニコラスのドスの効いた声は(…本当に剛くん?)と疑うほどに低くて男らしい声でした。それがカザマになると弱弱しくてかわいらしい声になり、終盤ではそれは優しい声音の「笑うよ」。決して前にガツンと届く芯のある声ではないけれど、圧倒的な表現力と内側に直接響く不思議な声でした。

 そして、少年感。舞台に行った皆さんが口を揃えて、「細い。小さい」と言っていましたが(近くの席の人が幕間で「めっちゃちっさい…」と呟いてました)、本当に細くて小さい。今回の役柄もあるのでしょうが、頭を抱えて屈んでいるシーンなんて今にも消えそうでハラハラしてしまいました。35歳の男性が持つ力強さとか生命力がいい意味で感じられなくて、異世界から来た人のようでした。一回りも年下の女性に抱きすくめられてあんなにあどけない成人男性っているのだなあと不思議な気持ちでした。今にも消えそうで守りたくてしょうがないような気分にさせるような感じ。健くんとは違った意味で母性をくすぐるような少年っぽさがある人だと感じました。(そりゃ剛健が並んだらものすごいアイドル感あるよ…!)

 だけど、マリアを抱きしめるシーンやタンゴを踊るシーンでは大人の包容力があってそのギャップにクラクラしてしまいました。ずるい。抱きすくめられるのと抱きしめるのであんなにも印象が違うなんてずるいよ。


 剛くんといえばクールで感情が表に出ないイメージがあるのですが、きっと感受性が強くて内には色んな感情を持ってる人なのではないかなと思います。それを言葉にするのではなく、声や動きに乗せることに長けているからこそあの表現力があるのではないかと思います。

 ピンスポットがよく似合う唯一無二の魅力を持った役者であると強く感じました。

 

 

 他にも色々思うことはあったのですが、キリがないのでここら辺で。BGMはアストル・ピアソラの「ブエノスアイレス午前零時」。劇中のメインテーマにもなっていますので、ぜひ!

Buenos Aires hora cero - YouTube