醒めないままで君に

光溢れた夢の続きは君とともに

舞台『ブエノスアイレス午前零時』~観劇によせて~

このブログを開設した理由のひとつに、森田剛くん主演の『ブエノスアイレス午前零時』の感想を書きたいという想いがありました。

音楽のちから」をきっかけに、V6に興味を持ってどんどん深みにハマっていく私の目の前に現れたのが舞台『ブエノスアイレス午前零時』。

ちょうど時期的には健くんの舞台『炎立つ』が終わり、トニセンの舞台『ON THE TOWN』が始まろうという9月下旬。今年のV6は舞台にたくさん出るのだなあと驚き、どれかひとつでも観てみたいとぼんやりと考えていました。

とはいえ『ON THE TOWN』はもう既にチケットは取れなさそうだし、(当時は)どうにかしてでも行きたい!!というほどでも無いし…と逡巡していた私の目に入ったのが『ブエノスアイレス午前零時』のぴあ先行でした。

その時、剛くんにものすごく興味を持っていたのもあり、「当たるかどうか期待はしてないけど応募してみよう」くらいの軽い気持ちで、先行に応募し見事にゲット。期待はしていないと言い聞かせていたものの、心底当選してほしかったし、当選した時は嬉しくて嬉しくてしょうがなかったです。

そこからV6沼にどんどんハマり、剛くんにもどんどんハマり、『ブエノスアイレス午前零時』にて剛くんを観れることに対する現実感のなさと期待でドキドキワクワクの日々…。

 

と、ここまでが観劇までのお話。

 

※ここからは、小説『ブエノスアイレス午前零時』の感想と舞台への期待を書いてみたいと思います。一部小説からの引用もあり、ネタバレになるかもしれませんので、ご注意ください。

 

 

藤沢周(1999)『ブエノスアイレス午前零時』河出文庫 新装版(2014)

あらすじ(裏表紙より):

雪深いホテル。古いダンスホール……地方でくすぶる従業員カザマは、梅毒と噂される盲目の老婆ミツコに出会う。ある夜、孤独な彼がミツコを誘い二人でタンゴを踊る時、ブエノスアイレスにも雪が降る。

 

全体的に鬱屈としていて暗いなあ、という印象でした。カザマの「こんなところで何をやっているんだ」とくすぶる気持ちや社交ダンスへの嫌悪感。そんなネガティブな感情の隙間から見え隠れするミツコへの興味とカザマの優しさの対比がクラクラするほど、色っぽくてどこか見てはいけないものを見てる気持ちになります。最初に受けた鬱屈さ、暗さがあることで、最後のシーンの鮮やかさ、色気が引き立つのでしょう。

対比といえば、醜さの描写と綺麗な描写も鮮やかです。この鮮やかさがあるから短い小説であるのに、魅力的で印象に残るのかもしれません。

 

もうひとつ印象に残ったのが、「におい」。この小説では、さまざまにおいが出てきます。硫黄のにおい、冷たい雪のにおい、ポマードや化粧品のにおい、香水のにおい、温泉卵のにおい。「香り」ではなく、「におい」と表現してあるようにどれもどこか鼻について取れないような独特のものを感じさせます。カザマはこのにおいに不快感があるのに対し、ミツコはこの癖のあるにおいが好きだと言うのです。ミツコが「あなた……、温泉卵の、いいにおいがするわ」と言ったのに、カザマは「俺の体は、温泉卵、くさい……か」と正反対の意味で受け取ってしまっています。ここにもカザマのネガティブな感情が強く表れていると同時に、ますますミツコが不思議な存在に感じられます。この「におい」がもたらす効果を舞台ではどのように表現しているのか、非常に楽しみな部分です。

 

先に舞台のあらすじを知ってから読んだので、てっきり小説でもカザマとニコラスが出てくるものだと思っていましたが、小説ではカザマとミツコだけでした。ミツコの過去(妄想?)がほんの少し出てきていたのですが、小説では結局謎のままだったのでその部分を舞台ではどういうストーリーにしているのかが一番楽しみです。

あとは、なんといっても剛くんです。カザマを剛くんが演じているところをイメージしながら読んでいたせいでもあるのですが、この不満と孤独感を身にまとった青年カザマと作品全体にある鬱屈したなかにもどこか溢れ出る色気が剛くんにぴったりだなあと思いました。

 

初めて見る剛くんが舞台で踊る剛くんで心底嬉しく、期待に満ちています。

 

さて、より舞台を楽しむために観劇の日が締め切りになっている卒論を仕上げてしまわないと。