醒めないままで君に

光溢れた夢の続きは君とともに

舞台「ORANGE」感想

  1995年1月17日。私は3歳で実家(島根県)にいたため、この日に神戸で未曾有の大震災があったことは大きくなるまで全く知りませんでした。震災のことを知った時に、母に「震災の時ってこっちも揺れたの?」と聞くと、「明け方に震度3くらいでいきなり揺れたからびっくりして飛び起きた。あんたたちが寝てるから思わずお父さんと二人でタンスを押さえたよ。まさかあんな大きい地震だとはねえ…」と教えてくれたのが私の阪神淡路大震災についての一番最初の記憶です。

 「ORANGE」を最初に見たのは去年の春。NACSの音尾さんが主演をする舞台だから、という至極単純な理由で見に行ったのですが、「私は阪神淡路大震災のことを、災害のことを何も知らない」ということに気づかされ、「もう一度見に行ける機会があるなら見に行きたい」と心から思える舞台でした。そして、震災から20年経った今年その「もう一度」が叶ったのです。

 2回目の「ORANGE」は観劇前が一番辛かったです。これから舞台で起こることを全て知ったうえで見るのは心が痛いし何より絶対に泣いてしまう(1回目もひどく泣きました)。ただ、そういう理由だけで見に行かないのはもったいないと思える舞台で、実際今回の方が学べることがたくさんありました。

 

 命の最前線で闘う人々。何も危険がない日常を送っているとついつい忘れてしまいますが、日々命とともに闘っている人々がいます。そのひとりである消防士が「ORANGE」の主役です。阪神淡路大震災で神戸の消防隊員は数千の命を助けたそうです。しかし、彼らは同時に助けられなかった6000人余りの命もこの目で見ています。それはきっと消防隊員だけでなく、同じように命の最前線で闘う警察、医師、そして被災したすべての方々が目の当りにした光景なのでしょう。東日本大震災において、自衛隊員がたくさんの命を救ったと称えられていたことは記憶に新しく、日々テレビで救助の様子が流れ、私もそれを見ていました。きっと彼らも「ORANGE」の消防士のように多くの苦しみのなかで必死に救助に当たっていたのだと思います。

 震災が起きた時、本部から「声の反応がある人だけを救助せよ」と命の選択を迫るような指令が出されます。本部の判断は正しい。舞台を客観的に見てるとそう思いますが、見ていて一番つらいシーンでした。「助けて!!!」と泣き叫ぶ家族の前で「呼びかけに反応しないので次の現場に行きます」と告げなければならない悔しさ、残酷さは計り知れません。実際の現場でもたくさんの被災者の方と喧嘩し、掴み合いながら救助に当たっていたそうです。

 そして、忘れてはならないのが彼らも被災者ということ。必死に救助に当たる彼らを見ていると忘れてしまいそうになりますが、桜井所長の家族が亡くなるシーンではそのことを突き付けられます。家族が亡くなっても家が倒壊しても消防士としての立場を優先したのは桜井所長だけではなかったと思います。

 災害が起こらなくても身の危険が伴うのが消防士という仕事です。一歩間違えたら自分の命も落としかねないギリギリの現場。隆志隊員が殉職するシーンはその事実に気づかされます。要救助者の命も隊員の命も同じひとつの命である限りは、絶対に生きて帰ってこなければならない。まさに気持ちだけではできない仕事だと思います。

 

 今回は、アフタートークもあり、この舞台の主人公である小日向隊員のモデルになった消防士さんがゲストで来てくださいました。作・演出を手掛けた宇田さんは実際に震災救助に当たった多くの消防隊員、救助隊員にインタビューをしたそうです。インタビューをするにあたって「当時の話を聞かせてほしい」というと誰もが言葉を詰まらせ話したがらなかったそうです。小日向隊員がおばちゃんの救助をするシーンは実際にその消防士さんが経験したことだそうで、ご本人から語っていただけました。声を詰まらせ涙を流しながらも語って頂いたそのお話は一生の宝物になったと思います。また「この舞台はぜひプロの消防士に見てほしい」と仰っていたようにたくさんの人の痛みや想いから出きていることを知り、改めて大事にしていかなければならない舞台だと思いました。

 

 阪神淡路大震災から20年経ちました。その間も日本の各地で災害が起こり、たくさんの命が亡くなりました。幸いにも私は生命の危機を感じるほどの災害にあったことはありません。私には人命救助をすることはできないけれど、「生かされた命を生かしていくこと」はできます。

 

 今日もオレンジを着た彼ら、そして命の最前線で闘う人々に思いを馳せながら精一杯生き抜きたいと思います。