あるジャニオタがKEN☆TackeyとSnowManに救われた話
これはただの個人的な備忘録。よくあるお話。
だけど私にとっては一生忘れたくない2018年6月の出来事。
そして幸せいっぱいの7月につながるきっかけ。
平成最後の夏、きらきら輝く彼らに出会ったことを忘れないために。
2018年6月の初め、あるショッキングなニュースが飛び込んできた。わざわざ詳細に書くことでもないから省くけど、好きなアイドルがちょっと活動自粛になってしまったのだ。私には好きなタレント、アイドルがたくさんいるのだけれど、その時は彼らのコンサートに参加した直後というのもあったし、シングル発売やドラマなど楽しみな活動がたくさん控えていて、それらが消えるわけではないと分かっていながら、不安が拭えなかった。なによりしょんぼりしてる姿、叩かれる姿を見たくなかった。その時、同じ事務所の不祥事や脱退が続いていたのもダメだったし、なにより自分自身に疲れやストレスが溜まってて、受け止めきれなかった。
見事にメンタルブレイク。
3日くらいは全然寝れなくて、彼らのことばかり考えてずっと苦しかった。
そんなグズグズの状態から少し元気を取り戻した6月12日に行ったのが、滝沢歌舞伎御園座公演だった。
楽しかった。すごくすごく楽しかった。
すべてがキラキラしてて、胸が高鳴って、「ジャニーズ最高!!現場最高!!」って1週間前の悩みなんて忘れるくらい没頭できた。
4月に新橋演舞場のほうにも行ったのだけれど、その時とはまた違った感動がたくさんあって、本当に眩しい夢舞台だった。
その時、一緒に入ってくれた三宅担のお友達の力も大きかったと思う。ありがとう。
そこで、特に心奪われたグループがいる。ジャニーズJr.のSnowManだ。
健くんとアイコンタクトを取ってニコニコキラキラとパフォーマンスをする姿。ジュニアのリーダー的な存在として様々な演目で大事な役割を務める姿。健くんが衣装を作った「BoogieWoogieBaby」もようやく見れたし、久しぶりにお丸ちゃんにも会えた。
滝沢歌舞伎は2016年も観劇していたから、SnowManを見るのはもちろん初めてではないし、少クラでも何度かパフォーマンスを見ていたけど、それでもこんなに輝いて見えたのは初めてだった。
今思えば、御園座に行く少し前にラストホールドを見てたから顔と名前もバッチリだったし、双眼鏡でSnowManのこともよく見ようと決めてたから、そこからもう一歩は踏み出してたんだと思う(その時に興味があったのが渡辺くんと佐久間くんでした)。
テレビを見るのが苦しかった時期でもあったから、YouTubeのチャンネルの存在も有難かった。中でも「SnowDream」には何度泣いたかわからない。不安で寝れないときは、泣いたら少しスッキリするからという理由で「SnowDream」を見てから寝るのが日課になっていたくらいだ。
大好きな滝沢歌舞伎2018が幕を閉じてからも7月に入れば毎日のようにKEN☆Tackeyがテレビで見れたし、同じくらいSnowManも出演していたし、本当に本当に幸せでたまらなかった。画面に映っている人全員が大好きでどこを見ていいかわからないという贅沢な悩み。
もちろんCDも健くんが参加した滝沢歌舞伎をぎゅっと詰め込んだような素敵な作品だった。
大げさに言えばKEN☆TackeyおよびSnowManは命の恩人みたいなもので、マジでオタク卒業しようかくらいまで思い詰めてた私を救い上げてくれたんだよね。今思うと思い詰めすぎだね。
でも、それくらい私にとっては大きな出会いだったんだ。
それにしてもSnowManの魅力がすごい。
私はV6担だけど、多分歌って踊る6人組が大好きなんだと思う。最初に好きになったものにずっとあこがれを抱き続けているというのもあるけど、単純に一番バランスが良くて、見やすいんだと思う。
あと、同い年だから頑張ってほしいという気持ちもかなり強い。
「目標はやっぱりCDデビュー」
「東京ドームでライブをやりたい」
「僕らが主演の舞台を御園座でやりたい」
どれも簡単には実現できない夢だって分かってるけど、彼らのためなら微力ながらでも応援したいなあって思う。どん底に落ちてた6月から救い出してくれた6人のジャニーズJr.のために私ができることをしたい。
何ができるかなあ。まずは名義を作ることでしょうか。
なんせJr.にハマったことがないので現場に行くにもどうしたらいいのか分からないんだよね。
まあこれはおいおいと勉強しましょう。
もうすぐ8月が始まる。こんなにワクワクした気持ちで8月を迎えられるとは思えなかった。
ありがとう。滝沢歌舞伎。
ありがとう。SnowManのみんな。
ありがとう。健くん。
冒頭で触れたグループのこともようやく応援できるようになってきました。彼らの夏も素晴らしいものになりますように。心から願っています。
V6にハマって一年経って思うこと
舞台「ORANGE」感想
1995年1月17日。私は3歳で実家(島根県)にいたため、この日に神戸で未曾有の大震災があったことは大きくなるまで全く知りませんでした。震災のことを知った時に、母に「震災の時ってこっちも揺れたの?」と聞くと、「明け方に震度3くらいでいきなり揺れたからびっくりして飛び起きた。あんたたちが寝てるから思わずお父さんと二人でタンスを押さえたよ。まさかあんな大きい地震だとはねえ…」と教えてくれたのが私の阪神淡路大震災についての一番最初の記憶です。
「ORANGE」を最初に見たのは去年の春。NACSの音尾さんが主演をする舞台だから、という至極単純な理由で見に行ったのですが、「私は阪神淡路大震災のことを、災害のことを何も知らない」ということに気づかされ、「もう一度見に行ける機会があるなら見に行きたい」と心から思える舞台でした。そして、震災から20年経った今年その「もう一度」が叶ったのです。
2回目の「ORANGE」は観劇前が一番辛かったです。これから舞台で起こることを全て知ったうえで見るのは心が痛いし何より絶対に泣いてしまう(1回目もひどく泣きました)。ただ、そういう理由だけで見に行かないのはもったいないと思える舞台で、実際今回の方が学べることがたくさんありました。
命の最前線で闘う人々。何も危険がない日常を送っているとついつい忘れてしまいますが、日々命とともに闘っている人々がいます。そのひとりである消防士が「ORANGE」の主役です。阪神淡路大震災で神戸の消防隊員は数千の命を助けたそうです。しかし、彼らは同時に助けられなかった6000人余りの命もこの目で見ています。それはきっと消防隊員だけでなく、同じように命の最前線で闘う警察、医師、そして被災したすべての方々が目の当りにした光景なのでしょう。東日本大震災において、自衛隊員がたくさんの命を救ったと称えられていたことは記憶に新しく、日々テレビで救助の様子が流れ、私もそれを見ていました。きっと彼らも「ORANGE」の消防士のように多くの苦しみのなかで必死に救助に当たっていたのだと思います。
震災が起きた時、本部から「声の反応がある人だけを救助せよ」と命の選択を迫るような指令が出されます。本部の判断は正しい。舞台を客観的に見てるとそう思いますが、見ていて一番つらいシーンでした。「助けて!!!」と泣き叫ぶ家族の前で「呼びかけに反応しないので次の現場に行きます」と告げなければならない悔しさ、残酷さは計り知れません。実際の現場でもたくさんの被災者の方と喧嘩し、掴み合いながら救助に当たっていたそうです。
そして、忘れてはならないのが彼らも被災者ということ。必死に救助に当たる彼らを見ていると忘れてしまいそうになりますが、桜井所長の家族が亡くなるシーンではそのことを突き付けられます。家族が亡くなっても家が倒壊しても消防士としての立場を優先したのは桜井所長だけではなかったと思います。
災害が起こらなくても身の危険が伴うのが消防士という仕事です。一歩間違えたら自分の命も落としかねないギリギリの現場。隆志隊員が殉職するシーンはその事実に気づかされます。要救助者の命も隊員の命も同じひとつの命である限りは、絶対に生きて帰ってこなければならない。まさに気持ちだけではできない仕事だと思います。
今回は、アフタートークもあり、この舞台の主人公である小日向隊員のモデルになった消防士さんがゲストで来てくださいました。作・演出を手掛けた宇田さんは実際に震災救助に当たった多くの消防隊員、救助隊員にインタビューをしたそうです。インタビューをするにあたって「当時の話を聞かせてほしい」というと誰もが言葉を詰まらせ話したがらなかったそうです。小日向隊員がおばちゃんの救助をするシーンは実際にその消防士さんが経験したことだそうで、ご本人から語っていただけました。声を詰まらせ涙を流しながらも語って頂いたそのお話は一生の宝物になったと思います。また「この舞台はぜひプロの消防士に見てほしい」と仰っていたようにたくさんの人の痛みや想いから出きていることを知り、改めて大事にしていかなければならない舞台だと思いました。
阪神淡路大震災から20年経ちました。その間も日本の各地で災害が起こり、たくさんの命が亡くなりました。幸いにも私は生命の危機を感じるほどの災害にあったことはありません。私には人命救助をすることはできないけれど、「生かされた命を生かしていくこと」はできます。
今日もオレンジを着た彼ら、そして命の最前線で闘う人々に思いを馳せながら精一杯生き抜きたいと思います。
舞台『ブエノスアイレス午前零時』~観劇~
ものすごく今更ですが、2014年12月26日のブエノスアイレス午前零時の感想をまとめてみました(いつの間にか年が明けていた)。あくまで感想ですので、物語のあらすじなどは私の記憶の限りですのでご了承ください。
●舞台『ブエノスアイレス午前零時』の感想
舞台の始まり、ミツコが一方的に語りかけ二人は出会います。雪がちらつく中、いつものように温泉卵を作るカザマの前に突然現れたミツコ。言葉を発することなくミツコに驚き見つめるカザマ。そんな印象的なシーンから舞台はスタートします。
みのやホテルでのカザマは小さくて弱気で声も細くて黙々とホテルの掃除をするだけの従業員。ほかの従業員が堂々としているのもあって余計に小さく見えて、よく目を凝らさないと見失いそう。それが、現在のカザマの立ち位置なのでしょう。
ミツコが「あなたニコラスなのね」と声を掛けたところから、ニコラスの物語はスタートします。舞台の奥行きを存分に生かしたセット転換は見事でした。一瞬で新潟と福島の県境からブエノスアイレスに切り替わります。小さくて弱弱しいカザマから一転、飄々とした胆の座ったニコラスはドスの効いた声で酒場の客とやりあいます。その切り替えは本当に見事としか言いようがなくて、剛くんって声の表現力にものすごく長けた人なのだなあと知りました。転がされて挑発的な言葉を相手に掛ける時の声は「こんな声でるんだ!?」と本当にドキッとしました(声についてはまた後ほど)。
酒場に似合わない東洋人のミツコ。「娼婦じゃねえ!」と突っぱね、体を買われても拒絶する。そんなミツコを何故かかばうニコラス。酒場の雰囲気はどんどん悪くなっていき、そこに現れるボス。ボスに気に入られたミツコはボスの女になります。
一方、ミツコの記憶に自分を投影していくうちに、カザマはだんだん混乱していきます。「今、ここはどこなのだろう」「自分は誰なのだろう」と。ブエノスアイレスのシーンはカザマの投影なので、周囲の人もホテルの従業員や兄を当てはめているのでどんどん分からなくなっていきます。「あなたがこんな話をするから!!」とミツコに憤るカザマ。カザマの内に秘めた叫びがニコラスの叫びとなって出てきます。とにかく絶叫シーンが多いのですが、それに伴ってカザマも冒頭とは違って叫び、兄にも従業員にも突っかかり、苦悩が表に出てきます。うずくまるニコラスも多いのですが、それがカザマの内面を表しているようでもありました。そんなカザマの葛藤とボスを殺してしまいこれからどうなるのかという不安を抱えながら終わった一幕。出演者の熱量に圧倒されて幕間はボーっとしてました。
二幕。ニコラスが出てきた瞬間、「ボ、ボタンが!!!!!仕事をしていない!!!!!!!!」ということに衝撃を受けしばらく剛くんの胸元を見つめていました…。(皆さんがボタンガー、ムナモトガーと言っていた意味がここでようやくわかる)
釈放されたニコラスは一幕に増してギラギラと「ミツコはどこだぁー」と唸ります。そんなニコラスの前に現れたのは一幕とは打って変わって妖艶なミツコ、いやマリアでした。酒場にいるすべての男と寝た女、マリアを受け入れられないニコラス。そんなニコラスをあざ笑う周り。マリアに「帰ろう」と説得するも厳しくはねのけられてしまいます。戻ってきたら大切な人でさえも何もかもが変わっている現実。ここでの、ニコラスの叫びや痛みは見ているこちらの内面もヒリヒリしました。二幕はニコラスとカザマが同一化するだけでなく、見ている側も二人に同一化してしまうかのようで本当に苦しかったです。一幕ではカザマが主軸だったのに対し、二幕ではニコラスが主軸になっていくように思いました。この辺から剛くんの切り替えも急にニコラススイッチが入ったかのようにテキパキした切り替えになっていってますます引き込まれます。
ニコラスがマリアを買い、二人になるシーン。やっぱりそこにミツコはいて、二人は語ります。二人の出会いはもっともっと前。娼婦として生きてきて娼婦としてしか見られてこなかったミツコにとって、ニコラスは初めて「ミツコ」を見てくれた存在。「まだこどもじゃねえか」という言葉にミツコは二度も助けられたのです。ニコラスとミツコはとても純粋です。それは、穢れを知らない純粋さではなく、自らに正直でまっすぐな純粋さで、このニコラスとミツコのまっすぐさを受けてカザマも自らに正直になっていったのでしょうか。ボスがいる酒場を二人で乗り越えることが障害だらけの未来を乗り越えることの象徴になっていて、ニコラスの「超える」という一言がものすごく強く耳に残っています。剛くん自身も仰っていましたが、蓬莱竜太さんのセリフはそれ自身がものすごく強くて決して難しい言葉や言い回しはないのですが、説得力がすごくあってすっと耳に入ってきました。
そして舞台はみのやホテルに戻ります。小説でのクライマックスシーン。ミツコの手を取り二人は舞踏会で踊ります。「私怖いわ…」「大丈夫です」「あなた笑わないのね…」「俺は笑う…笑うよ…」。この「笑うよ」の声が優しくて暖かくて心地よくて本当に素晴らしかったです。公開舞台稽古の囲み取材で美織ちゃんが「森田さんの顔を見ているだけで泣けてきてしまうくらいの大きな愛や優しさを感じています」と仰っていた(そのあと照れ笑いする剛くんは死ぬほど可愛いですねという蛇足情報)のですが、まさにそうでニコラスとカザマを通して剛くんの優しさや包容力溢れていて後半ではカザマが喋っているのを見るだけで切なくて泣いていました。状況の深刻さや辛さへの同情の涙ではなく、美しくて切なくて愛おしい感情の涙だったような気がします。このクライマックスの前では、心臓が早鐘を打っていてぐっと引き込まれました。
最後に満を持してのタンゴの登場。三人で踊るのってかなり難しそうなのに綺麗に踊れていました。三人とも決して自分をアピールするわけでなく、淡々と踊っているのですが、とてもかっこいい。特に剛くん一人でタンゴを踊るシーンはキレッキレで衣擦れの音が聞こえてきそうなほどしっかりと踊っていてめちゃくちゃかっこよかったです。ああ、ぜひコンサートでビシバシ踊る剛くんが見たい…。
そして、最後の最後。カザマはここに残る決断をします。劇中でカザマが温泉卵を作るシーンは冒頭、中盤終わり頃、終わりに出てくるのですが、どれも違ったカザマで最後のカザマはとても穏やかですべてを決めた顔をしていました。みのやホテルのオーナーと語り合う姿にカザマの決断が見えて希望の持てる終わり方であったように思います。オーナーが立ち去った後、雪が舞う中タンゴを踊るカザマとともに舞台は幕を閉じます。この一番最後のタンゴがまたすばらしくかっこよかった!!!タンゴに入った瞬間、顔つきも体の動きも別人のよう。
カーテンコールは4回。時間も遅くて簡潔なカーテンコールでしたが、4回目の最後、袖にハケる寸前にちょこちょこっとお手振り頂きました。めっちゃ可愛くてめっちゃアイドル!!!!!こりゃ私、コンサートでファンサもらった日にはその場でぶっ倒れるかも。
●舞台の森田剛の魅力
まず、びっくりしたのが声。剛くんの声の印象といえば何といっても甘い「キャラメルボイス」ですが、舞台で初めて声を発した時、思ったよりもハスキーで(舞台公演の掠れかもしれません)びっくりしました。カザマとニコラスの演じ分けにおける声音の使い分けは見事で、特にニコラスのドスの効いた声は(…本当に剛くん?)と疑うほどに低くて男らしい声でした。それがカザマになると弱弱しくてかわいらしい声になり、終盤ではそれは優しい声音の「笑うよ」。決して前にガツンと届く芯のある声ではないけれど、圧倒的な表現力と内側に直接響く不思議な声でした。
そして、少年感。舞台に行った皆さんが口を揃えて、「細い。小さい」と言っていましたが(近くの席の人が幕間で「めっちゃちっさい…」と呟いてました)、本当に細くて小さい。今回の役柄もあるのでしょうが、頭を抱えて屈んでいるシーンなんて今にも消えそうでハラハラしてしまいました。35歳の男性が持つ力強さとか生命力がいい意味で感じられなくて、異世界から来た人のようでした。一回りも年下の女性に抱きすくめられてあんなにあどけない成人男性っているのだなあと不思議な気持ちでした。今にも消えそうで守りたくてしょうがないような気分にさせるような感じ。健くんとは違った意味で母性をくすぐるような少年っぽさがある人だと感じました。(そりゃ剛健が並んだらものすごいアイドル感あるよ…!)
だけど、マリアを抱きしめるシーンやタンゴを踊るシーンでは大人の包容力があってそのギャップにクラクラしてしまいました。ずるい。抱きすくめられるのと抱きしめるのであんなにも印象が違うなんてずるいよ。
剛くんといえばクールで感情が表に出ないイメージがあるのですが、きっと感受性が強くて内には色んな感情を持ってる人なのではないかなと思います。それを言葉にするのではなく、声や動きに乗せることに長けているからこそあの表現力があるのではないかと思います。
ピンスポットがよく似合う唯一無二の魅力を持った役者であると強く感じました。
他にも色々思うことはあったのですが、キリがないのでここら辺で。BGMはアストル・ピアソラの「ブエノスアイレス午前零時」。劇中のメインテーマにもなっていますので、ぜひ!
Buenos Aires hora cero - YouTube
舞台『ブエノスアイレス午前零時』~観劇によせて~
このブログを開設した理由のひとつに、森田剛くん主演の『ブエノスアイレス午前零時』の感想を書きたいという想いがありました。
「音楽のちから」をきっかけに、V6に興味を持ってどんどん深みにハマっていく私の目の前に現れたのが舞台『ブエノスアイレス午前零時』。
ちょうど時期的には健くんの舞台『炎立つ』が終わり、トニセンの舞台『ON THE TOWN』が始まろうという9月下旬。今年のV6は舞台にたくさん出るのだなあと驚き、どれかひとつでも観てみたいとぼんやりと考えていました。
とはいえ『ON THE TOWN』はもう既にチケットは取れなさそうだし、(当時は)どうにかしてでも行きたい!!というほどでも無いし…と逡巡していた私の目に入ったのが『ブエノスアイレス午前零時』のぴあ先行でした。
その時、剛くんにものすごく興味を持っていたのもあり、「当たるかどうか期待はしてないけど応募してみよう」くらいの軽い気持ちで、先行に応募し見事にゲット。期待はしていないと言い聞かせていたものの、心底当選してほしかったし、当選した時は嬉しくて嬉しくてしょうがなかったです。
そこからV6沼にどんどんハマり、剛くんにもどんどんハマり、『ブエノスアイレス午前零時』にて剛くんを観れることに対する現実感のなさと期待でドキドキワクワクの日々…。
と、ここまでが観劇までのお話。
※ここからは、小説『ブエノスアイレス午前零時』の感想と舞台への期待を書いてみたいと思います。一部小説からの引用もあり、ネタバレになるかもしれませんので、ご注意ください。
藤沢周(1999)『ブエノスアイレス午前零時』河出文庫 新装版(2014)
あらすじ(裏表紙より):
雪深いホテル。古いダンスホール……地方でくすぶる従業員カザマは、梅毒と噂される盲目の老婆ミツコに出会う。ある夜、孤独な彼がミツコを誘い二人でタンゴを踊る時、ブエノスアイレスにも雪が降る。
全体的に鬱屈としていて暗いなあ、という印象でした。カザマの「こんなところで何をやっているんだ」とくすぶる気持ちや社交ダンスへの嫌悪感。そんなネガティブな感情の隙間から見え隠れするミツコへの興味とカザマの優しさの対比がクラクラするほど、色っぽくてどこか見てはいけないものを見てる気持ちになります。最初に受けた鬱屈さ、暗さがあることで、最後のシーンの鮮やかさ、色気が引き立つのでしょう。
対比といえば、醜さの描写と綺麗な描写も鮮やかです。この鮮やかさがあるから短い小説であるのに、魅力的で印象に残るのかもしれません。
もうひとつ印象に残ったのが、「におい」。この小説では、さまざまにおいが出てきます。硫黄のにおい、冷たい雪のにおい、ポマードや化粧品のにおい、香水のにおい、温泉卵のにおい。「香り」ではなく、「におい」と表現してあるようにどれもどこか鼻について取れないような独特のものを感じさせます。カザマはこのにおいに不快感があるのに対し、ミツコはこの癖のあるにおいが好きだと言うのです。ミツコが「あなた……、温泉卵の、いいにおいがするわ」と言ったのに、カザマは「俺の体は、温泉卵、くさい……か」と正反対の意味で受け取ってしまっています。ここにもカザマのネガティブな感情が強く表れていると同時に、ますますミツコが不思議な存在に感じられます。この「におい」がもたらす効果を舞台ではどのように表現しているのか、非常に楽しみな部分です。
先に舞台のあらすじを知ってから読んだので、てっきり小説でもカザマとニコラスが出てくるものだと思っていましたが、小説ではカザマとミツコだけでした。ミツコの過去(妄想?)がほんの少し出てきていたのですが、小説では結局謎のままだったのでその部分を舞台ではどういうストーリーにしているのかが一番楽しみです。
あとは、なんといっても剛くんです。カザマを剛くんが演じているところをイメージしながら読んでいたせいでもあるのですが、この不満と孤独感を身にまとった青年カザマと作品全体にある鬱屈したなかにもどこか溢れ出る色気が剛くんにぴったりだなあと思いました。
初めて見る剛くんが舞台で踊る剛くんで心底嬉しく、期待に満ちています。
さて、より舞台を楽しむために観劇の日が締め切りになっている卒論を仕上げてしまわないと。
テスト
右も左も分からぬまま始めてみました。
文章を書くのはあまり得意ではないですが、自分の心が動いたことのメモとして。